土冬バージョンのつづき。
土浦にあてられた先生のはなし。
土浦にあてられた先生のはなし。
「…いいなぁ」
ぽつりと香穂子は呟いた。場所は音楽準備室。部屋の主は書類から目を上げる。
「何が」
それに笑ってみせて、香穂子は目の前の棚から楽譜を取り出した。
「先生には絶対お願いできないんで、聞いても無駄ですよ?」
「お前さんなぁ…」
大きく息を吐き、金澤はがりがりと頭をかく。
「これ見よがしに俺の目の前で言っといて、それはないだろう」
くすくすと笑って、香穂子はくるりと金澤を振り返る。
「だって、先生にはお願いできないことだけど、してもらうなら先生じゃなきゃ意味ないんですもん」
「……はぁ?」
謎掛けのような香穂子の言葉に、金澤は怪訝そうに眉をしかめた。その様子を見ながら、香穂子は金澤の机に近寄る。
「冬海ちゃんが羨ましいなーって」
「は? 冬海?」
唐突に出された生徒の名前に、金澤は困惑を隠せない。それを楽しげに見遣って、香穂子は金澤の机の上で楽譜を開く。
「土浦くんにすっごく想われてて、幸せそうだったから」
そう言いながら、昼休みのできごとをかいつまんで説明する。
音楽科内で土浦と冬海の関係について、よくない噂が流れていること。
噂を教えれば冬海はそれを否定したし、土浦は冬海が貶められていることに憤った。冬海も土浦も、互いを想いあっているのがよくわかるその反応に、好感とわずかな嫉妬心を覚える。それを自然にできることが羨ましい。
隠さなければいけない関係は、まだ始まってもいない。
香穂子は金澤の心の内を知っている。けれど、知っているだけでそういう関係ではない。まだ、そうはなれない。
教師と生徒という関係は窮屈で、不自由だ。
「好きって言葉にしなくても、想って想われて、そういう関係なのがいいなぁって」
香穂子は金澤の顔を見つめた。眉を寄せて、笑う。
開いた楽譜は愛の挨拶。
唯一、金澤と香穂子を繋ぐ音楽だ。この曲がなければ、コンクール終了後、金澤は香穂子を見つけることはできなかっただろうし、二人の間に秘密の関係を築くこともなかっただろう。
「先生じゃなきゃ意味がないけど、まだ叶えられないでしょう?」
卒業まで。
ボーダーは動かすことができない。
ぎゅっと手を握りしめた。
「………まあ、そうだな」
どんなに香穂子が望んでも、金澤は決してそのボーダーを越えないだろうことは予想済みで、だからその当然の答えに苦笑した。しかし目を上げると、金澤は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「先生?」
「そう…、なんだがな」
ああ畜生、と髪を掻きむしる。金澤の荒々しい仕草に首を傾げた。
「土浦に負けてると思うと悔しいな」
その言葉に香穂子は吹き出す。
「負けてるって…。勝ち負けじゃないんですから」
「勝ち負けじゃないにしてもなぁ…。俺ができないことを土浦が簡単にやってると思うと、…アレだ。お前さんじゃないが、羨ましくなる」
きょとん、と香穂子は目を見開いた。金澤の口から思いがけない言葉が漏れている。
「……え?」
小さな香穂子の声に、しまったというように金澤は口元を覆い隠す。
「ああ、もう今のナシな。忘れろ」
「嫌です」
考えるよりも先に声が出る。
「日野…」
だらしなく顔を緩ませる香穂子に、困ったような呆れたような金澤の声。笑み崩れる頬に手を当てて、香穂子はにこりと金澤を見上げてみせる。
「あと、もう少しですもん。今の言葉を励みに我慢します」
その笑顔に金澤は息を飲んでたじろぎ、次いで大きく息を吐いた。
「……そのもう少しが長いんだって、気づけよ」
「はい?」
聞き返した香穂子の視界いっぱいに、金澤の顔があった。後退さろうとした腰を押さえられて、逃げられない。
「…先生?」
「我慢も限界だって言ったんだよ」
唐突に訪れた柔らかな熱に、目を見開いたまま香穂子は硬直した。
2008.06.26up
相変わらず先生は我慢のし通しでかわいそうになってきたので、ちょっとだけ強引になっていただきました。
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2008.06.26‖コルダ:その他