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2024.11.23‖
 笙子は辺りを見回した。
 潮のにおい、波の音。
 そして、知っている人は誰もいなかった。



 笙子の身長は、どちらかと言えば小さい。だから、異性に囲まれてしまうと視界が消える。彼らの胸や首が、笙子に見えるすべてになってしまうのだ。そういう状況にあって、冷静でいられるほど笙子は異性に慣れているわけではなかった。それどころか、苦手としているのだ。囲まれてしまうと怖くて仕方がない。
 青ざめながら笙子は足元の砂を見つめる。ガクガクと膝が震えるのがわかった。
 それを知ってか知らずか、笙子を取り囲んだ数人の男はにやけながら笙子との間を詰めた。
「かわいいねー。一人なら、お兄さんたちと遊ばない?」
「………!」
 ビク、と肩を揺らして後ずさる。声が出ない。必死で首を横に振る。
 海へ来たのは、コンクールのときの合宿と同じ理由だった。
 学校で金澤に呼び出されたのは、コンクールが終わったあとのことだ。
「夏休み入って8月の第一週な、悪いが2、3日一緒に海へ行ってもらうぞ」
「海、ですか?」
 日野がきょとんとした顔で聞き返す。
「やった、みんなで海?」
 キラキラとした目で、ズイと身体を乗り出したのは火原だ。
「……はぁ?」
 月森と土浦は同時に怪訝そうな声を出し、
「………………海、ですか」
 いつものように、わかっているのかわかっていないのかさっぱり読めない志水が呟く。
「どういうことですか? 金澤先生」
 にっこりと貴公子然と笑ったまま、柚木が尋ねた。
「………校長命令だ」
 心底嫌そうに、金澤は息を吐き出す。
「合宿のときと同じだよ。頑張ったコンクール参加者たちに功労賞を、とかなんとか…。しかもな、お前ら今回は断れないぞ?」
「どうしてですか」
 憮然とした表情で月森が問う。
 最後の最後、金澤は諦めたように笑った。
「今回ご招待にあずかったのは、校長の別荘だからだ」


* * * * *


 そして、コンクール参加者たちで海辺へ来たのだった。天羽ちゃんも誘いたかったんだけど、と日野が行きの道中で話していたが、人数の関係上それは無理で諦めたらしい。
「でも冬海ちゃんがいるしね!」
 そう言って抱きつかれたのは、本当に数時間前のことなのに。
「ね、いいだろ?」
 今では知らない男たちに囲まれ、さらには側に寄られて肩を抱かれる。声もなく、ただ怯える笙子を興味津々で男たちは囲んでいた。
 笙子は一目でわかる美少女だ。卵形の小さな頭、常に潤んだ瞳は大きく、唇はピンク。背は小さく、身体は細い。庇護欲をそそられる少女で、だからこそ目立つし、言い寄られたりもする。けれど、こうも無遠慮な誘いを受けたことはなかった。今までは幸か不幸か、控えめでおとなしいという笙子自身を知っている人物からしか、そういう声をかけられたことはなかったのである。なぜなら、笙子は今までこういった場所に来たりすることがなかったからだ。泳ぐのが苦手な笙子は、好んで夏の海へ泳ぎにきたりはしなかったし、人が多い場所は苦手でできるだけ避けてきた。
 だから、いわゆるナンパというものをされたことがなかったのだ。
(怖い……)
 笙子は息を飲む。喉が干上がって、声が出せない。視界が滲んで、奥歯を噛み締めた。
 怖い。怖い、怖い、怖い。
 逃げたいのに足が動かない。手を握りしめて、目をつぶり、身体を硬くするのが精一杯だった。
 楽しいお泊まり会だったはずだ。コンクールの参加者たちと同じ屋根の下で、今度はコンクールとは無関係に親交を深めるための親睦会。男の人が多いことは一つの難問ではあったけれど、それでも同じコンクールに出たという安心感はある。全員の音を知っている、というのは笙子にとって心強いことだった。憧れの日野もいるし、志水は中性的で話しやすい。火原は明るく場を盛り上げてくれるし、柚木は紳士的で笙子のことばも拾ってくれる。月森は厳しくもあるけれど、実はとても細やかな人で、金澤も面倒だと言いながら、しっかりと引率してくれている。
 そして、土浦。
 初対面では一番怖いと思った人だった。
 ピアノの音は情熱的で、叩きつけるような激しさがある。ショパンが得意だというのも頷けた。大きな体躯に見合うだけの、ダイナミックな演奏。それなのに一方で緻密で繊細な土浦の音楽は、笙子の中にひどく印象的に残った。
 土浦のピアノを聞くと、とてもドキドキして息が詰まる。
 今回も別荘にピアノがあると聞いて、土浦の演奏が聞けるかもしれないと、実は期待していたくらいだ。
 憧れにもならないほど、自分とは遠く隔たった場所にある土浦の音楽が、とても好きで。
 ピアノを弾く姿を見るのが好きで。
 脳裏に姿が浮かんだのは、それだけではない気はしたが、笙子は心の中で叫ぶ。
(………助けて…!)
「すいません、そいつ俺の連れなんで、手ェ離してもらえますかね」
 声とともに笙子の肩に置かれていた手が離れた。驚いて顔を上げると、笙子の肩を抱いていた腕を引きはがして、そこに脳裏に描いたままの土浦がいた。長身でガタイのいい土浦は、男たちと向き合ってびくともしない。
 それどころか男たちのほうが見劣りするのだ。真っ直ぐに土浦は笙子を見ている。
「…………せんぱ…」
 声が、ようやく出る。
 ぽろりと涙が落ちた。
 因縁をつけようとする男たちに見向きもせず、土浦は言う。
 それは傲慢に、けれどひどく優しく。
「来い、笙子」
 名前を、呼ばれた。
 それに気づいて血が頭に昇る。踏み出した足が縺れた。転びそうになる笙子の身体をいとも容易く支えて、土浦は笑う。
「行くぞ」
 当然のように肩を抱かれた。笙子の足は恐怖からか、土浦のせいなのか、まったく役に立っていなかったから、それは正解なのだけど。
 鼓動が早い。ドクドクと激しく高鳴って、こんなに密着していては土浦に聞こえてしまうのではないかと思うほどだ。下の名前を身内以外の異性に呼ばれるのははじめてで、しかもそれが土浦だというのが笙子の頭を混乱させる。
 何よりも、覚えていてくれたのだということが嬉しい。
 恥ずかしさに顔を上げられずにいた笙子の頭上で、土浦が呟いた。
「悪かったな…」
「…え?」
 顔を上げると、そこには顔を背けた土浦がいる。しかしその耳が赤いのだけは、やけにはっきり確認できた。
「名前、勝手に呼んで悪かった」
 ぶっきらぼうにそれだけを謝罪した土浦に、笙子は小さく首を振る。
 顔が火照ってしかたない。けれど胸に芽生えた感情を大事にしようと、笙子は少しだけ微笑んだ。





FISCAさまのリクエスト品。
今回初書きのキャラが多かった。志水と3Bは初めてですよ。びっくりだ。
冬海からみた印象とかも書いてみましたが、柚木のうさんくささ加減に失笑を禁じえない。
何にせよ、貴重な体験でした(笑)。

リクエストありがとうございました!
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