避けられているかもしれないと気づいたのは偶然だった。
そもそも亜貴は乃凪ではなく内沼に会いにきているのだから、二人が他愛ない会話をしているのが普通だけれど、目が合って逸らされたりすれば、それは避けられていると感じてもいいんじゃないだろうか。
そもそも亜貴は乃凪ではなく内沼に会いにきているのだから、二人が他愛ない会話をしているのが普通だけれど、目が合って逸らされたりすれば、それは避けられていると感じてもいいんじゃないだろうか。
「………依藤さん?」
「は、はい?」
図書室で勉強会の帰り。二人きりの室内で声をかければ、びくりと肩を揺らせて亜貴が振り返った。その驚き方が尋常ではないと思い、それは被害妄想だろうかと乃凪は自分を笑う。
「何かあった?」
直接、自分に対して何か思うところはあるのかと聞くのも自意識過剰な気がして、遠回しに尋ねる。驚きに目を瞠り、しかし亜貴は首を振る。
「な、何もないですよ?」
もともと嘘をつくのは苦手らしく、歪んだ笑顔が痛々しい。だが、そこまでは踏み込めない。
亜貴を好きだというのと、助けてあげたいというのは同じベクトルに存在していて、できれば手を差し伸べてあげたいとは思うけれど、当の本人にその手を振り払われてしまっては乃凪になす術はない。
乃凪にとって優しさは処世術だ。けれど、亜貴に対してだけは違う。純粋な好意で優しくしてあげたいと思う。他の人と亜貴との差はなんだろうかと考えてもわからない。それでも手助けになればいいと思う。
「そう…。でも何かあったら言って」
だから、押しつけにならない程度の申し出をして、亜貴の側を離れるつもりだった。しつこくして嫌われたくはないし、そうなったら自分も痛い。保身を考えている自分に、乃凪はまた笑った。
本当に、どうしようもない。
「…………乃凪先輩は、本当に誰にでも、優しい、ですよね…」
乃凪が背を向けると、背後で亜貴がぽつりとそう言った。
震える声に振り向くと、亜貴が俯いて手を握りしめていた。その腕が小刻みに揺れている。引き結んだ唇がそこにあって乃凪は驚く。
「…どうしたの?」
「………ッ!」
亜貴は乃凪の目の前で、思い切ったように顔を上げた。その瞳が潤んでいて乃凪は狼狽する。
何か泣かせるようなことをしただろうか。いや、していない。それならば、これは何に対する涙なのか。
「優しく……、しないでください……」
亜貴の顔が歪む。つらそうで苦しそうで見ていられない。
「依藤さ…」
伸ばそうとした手を払われる。音がして、手の甲が熱を持った。
「誰にでも、優しく、しないでください…」
もう一度、亜貴が繰り返す。
意味を理解できない。亜貴に手を差し伸べることも、見捨てることもできない中途半端な姿勢のまま、乃凪は亜貴に向き直った。どうしたらいいのだろう。自分のいたらなさに腹が立つ。
「……も、ヤダ……」
ぐ、と何か大きなものを飲み込んだかのように亜貴が喉を上下させた。もうやだと再度呟いて、亜貴は目尻から零れる涙を拭った。そうしている間にも涙はこぼれ落ちて、床にシミを作る。乃凪はどうすることもできない。涙を拭ってあげることも、抱きしめて宥めることも。
亜貴との関係はあまりに曖昧で不安定だ。乃凪は亜貴のことが好きだと告げたけれど、亜貴からはその言葉をもらっていない。それならば、まだ亜貴は内沼のことが好きなのだということになる。つけこんでも後味の悪い思いをするだけだ。振り向いてほしいと思う半面、今のままでもいいような気がしている。少なくとも、頼ってもらえるという位置はキープしているのだ。箸にも棒にも引っかからない状況ではない。
自分という存在を認識してもらっているだけでもかまわない。
もちろん振り向いてくれるのなら、それに越した喜びはないけれど、焦る必要はないだろう。
なぜなら、今こうして亜貴が泣き顔を乃凪の前でさらしているという事実があるのだ。
誰かに心配をかけるのを何よりも嫌う子だから、こうして人前で泣くというのは珍しいのではないかと思う。その優越感が乃凪にはある。
それでも、やはりこのままにはしておけなかった。
性分だ、仕方がないと乃凪は頭の片隅で考えながら払われた手をもう一度伸ばす。涙の軌跡をたどる指先が震えた。今度は振り払われたりはしなかった。
感極まったように、亜貴の瞳に新しい涙が盛り上がった。
「嫌わな…でくださ……」
しゃくりあげながら亜貴が言う。見上げてくる顔は涙でぐしゃぐしゃだ。それでもかわいいと思う。相当やられているな、と乃凪は苦笑する。
「嫌うって、誰が誰を?」
実際、乃凪には亜貴を嫌う理由がない。こうなっている理由がわからないではいるが、それでも嫌うという選択肢を考えたことはなかった。
「せ、先輩が、私を…」
亜貴が乃凪の腕に縋る。袖を掴まれて、その強さに驚いた。
縋りついたまま、亜貴はうなだれる。懺悔するように、言葉を絞り出す。
「私、ずるいんです。先輩が、私のこと好きだって言ってくれて、嬉しくて…」
ぎゅ、と袖を握る手に力がこもる。それが亜貴の自己嫌悪の深さを示しているようだった。
「いろいろ考えてたら葛ちゃんを好きだった気持ちとか、どんなだったかよくわからなくなって、だからまだ、答えられないでいて」
それでいいよ、と乃凪は言わない。答えを強要はしないがほしくないわけではない。その唇から言葉を、その心をくれるのなら。
「でも、先輩が誰かに…、私以外の誰かに優しくしてるの見ると、つらくて。そんなの、私が言えることじゃないのに、でも嫌で」
「それは………嫉妬?」
かすれる声で乃凪が尋ねる。そうであるのなら、嬉しい。
亜貴が顔を上げる。涙でぼろぼろの顔を上げて、顔を歪ませた。
「そう、なんでしょうか…?」
瞬間。
頭の奥で何かが切れる音が聞こえた。
乃凪は亜貴を抱きしめる。
衝動だった。男の力で力一杯抱きしめれば苦しいだろうとか、そういうことにすら配慮が及ばない。無自覚にもほどがある。そんなに独占欲丸出しの告白をされて、堪えられるほど大人ではない。亜貴の耳元に唇を寄せる。
ただ聞きたいのは、一言だけ。
嘆願する。声に出して。その声で、お願いだから。
「俺のことが好きだって、そう、言って」
2007.08.24up
…………あれ。
亜貴ちゃんが嫉妬する話を書きたかったのに間違えた。
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2007.08.24‖TAKUYO