B6/24P/¥300/2010.12.29発行
「八木沢さん、こっち、こっちです」
菩提樹寮の通用口からこっそり身体を滑らせた八木沢を呼んだのは、小さくひそめた声だった。声のしたほうを向けば、そこには動きやすそうな服装のかなでが手招きをしている。
「誰にも見つかってませんね?」
「はい、大丈夫だと思いますよ」
八木沢がうなずくと、かなではにこりと微笑んだ。こんなに暗い夜のなかでも、彼女は太陽のようだ、と八木沢は考えた。
そう、今は午前三時。誰もが寝静まる真夜中である。
こんな時間に、なぜふたりが待ち合わせをしているのかといえば、発端は今日の昼のことであった。約束をしていたわけではないが、昼休憩に菩提樹寮へもどってきていたふたりは、食堂で鉢合わせたのである。かなでは昼を食べ終わってたところで、八木沢は麦茶を作りにやってきたところだった。
そんなときにばったりと顔を合わせたものだから、八木沢とかなではキッチンでのんびりと麦茶をわかしていたのだ。ふたりが他愛もないことで笑い合っていると、誰かが消し忘れたのかテレビの音声が聞こえてきた。ラウンジをのぞいても誰もいないので、スイッチを消そうとしたときだ。テレビのなかのアナウンサーが、こんなことを言った。
『実は今日から明後日にかけて、ペルセウス座流星群が見られるんです。一時間に三十個から六十個程度の星が流れますよ。夏の思い出にどうでしょうか?』
流星群、の単語に目を輝かせたのはかなでだ。
きらきらした目で八木沢をふりかえり尋ねてくる。
「八木沢さんは、流星群、見たことありますか?」
「ええ。以前話題になった獅子座流星群を見に、山に登ったんです」
「はー、本格的ですねぇ」
八木沢のこたえに感心したようにうなずいて、かなでは少し残念そうに口をとがらせた。
「実は私、見たことないんです。私も、獅子座流星群見るつもりだったんです。たしか、あのときは律くんもまだ家にいて、響也と私と三人で見ようねって話をしてたんですけど、集まってはしゃぐのが楽しくて、星が流れるまえに疲れて寝ちゃったんです」
肩をすくめるかなでに、八木沢はもやもやしたものが胸に広がるのを感じた。如月兄弟が彼女のおさななじみであることは承知だが、いたるところで彼らは彼女の思い出に参加している。そのことが気にかかるのである。
自分もまだまだだなぁ、と考えながら、しかし八木沢はそんな様子をまったく見せずに、かなでに向き合った。
「それは残念でしたね。僕は山に登ったせいでもあるとは思うんですが、空一面に星が流れてすごかったですよ。今日の流星群も、すごいんでしょうか」
テレビ画面をながめると、もう話題はべつのものになっていた。リモコンを手にしてスイッチを切ると、かなでがあっと声を上げて八木沢を見上げてきた。
「八木沢さん、一緒に見ませんか? 流星群」
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2010.12.29‖offline