加地×冬海
「あ、冬海さん」
「か…、加地先輩」
音楽棟の屋上へ向かう階段で行き会ったのは、偶然だった。
加地はこれから上がるところ、冬海は下るところで、いつもは合わない視線がかち合う。いつもと違う視界に、加地はまじまじと冬海の顔を見てしまった。こうして至近距離で見ると、彼女が美少女だというのが顕著にわかる。
白い肌、大きな潤んだ瞳、長いまつげ、かたちのいい鼻、瑞々しい唇。驚くほど奇跡的なバランスで、それが小さな顔の中に収まっている。身体の線の細さは、しかし不健康なものではなく女性らしい丸みも帯びている。童話に出てくるお姫様というのは、こういう子のことをいうのかもしれない、と加地は思った。レースやフリルや、かわいらしい色使いが似合う少女だ。ふわふわしたドレスを着て、お伽の国にいると言われても納得してしまいそうだ。
そんなことを考えながら、あまりにも不躾に見てしまったせいか、冬海は大きな目をぱちぱちとさせて頬を赤く染める。
「……あ、あの…?」
か細い声に尋ねられて、加地は我に返った。
彼女は大きな男の人が怖いのだ、と日野に聞いてから、なるべく目線を合わせたり、威圧感を与えないように接してきた成果か、冬海は加地が近寄っても逃げなくなった。いつかの昼休みに、森の広場で弁当について話したのも功を奏しているのかもしれない。あのときに見せた彼女の笑顔は、それはもうかわいかった、とまた考えに耽りそうになる自分を引き戻して、加地は気づく。
「あれ? ちょっと、ごめんね?」
「………え?」
加地が伸ばした指に、びくりと身体を引いた冬海に目を瞬かせる。それに苦笑しながら、加地は自分の頬骨のあたりを指で示してみせた。
「ここのところ、まつげがついてるよ」
「え、あ、ありがとうございます。………取れました?」
冬海は細い指で、加地が示したあたりを探るが、それはまだ張りついたままである。
「取れてないね。冬海さんが嫌じゃないなら取ってあげるから、目を閉じて…」
「は、はい…!」
緊張にか胸の前でぎゅっと手を組み、身体を強張らせ、わずかに仰向いた顔。大きな目はまぶたの裏に隠れ、上気した頬が存在を主張している。震える唇に目が釘付けになり、加地は思わず唾を飲んだ。
(…この体勢はまずいんじゃ……)
まるでキスをねだっているような冬海に、鼓動が早くなる。
自分が日野に抱いているのが恋情ではないというのは、わかりきったことだった。日野の音に焦がれたのは、自分の理想の音と限りなく合致していたからだ。音に惹かれ、彼女自身にも惹かれたけれど、それはあの音を奏でる人としてだった。日野への感情はどちらかといえば神への崇拝に近く、恋などという俗世的なものとはかけ離れていた。
そう、恋をするというのなら、その相手は日野ではなく、目の前の少女のほうが可能性があると、おぼろげながらに感じてはいた。冬海と日野の話をするのが楽しかった。おどおどとした態度の裏に隠れる優しさに惹かれ、笑顔の可憐さにときめき、思わぬ芯の強さに驚いた。今は、そんな彼女自身に大いなる興味を持っている。
それでも、まだ恋ではなかった。
恋ではなかったというのに、一足飛びにこの状況。わずかに顎を上げたその体勢は、非常に男心をくすぐられる。
しかし、それを無理矢理押しこめて、加地はわずかに赤い頬に手を伸ばす。これは顔についたゴミを取るという、それだけの作業だと思い聞かすものの、触れた頬の思いがけない柔らかさに、脳が危険信号を飛ばす。
異性の肌に触れたことがないなんて、そんな初心なことは言えない。けれど、今までの誰よりも柔らかく暖かく、そして清純な冬海の肌に溺れてしまいたかった。砂糖菓子でできたような少女の頬は甘いのだろうか、と埒もないことを考えて、加地は頬についたまつげを払う。ただそれだけで、指が無様に震えた。心臓がありえないほど早く脈打って、冬海の頬の熱が乗り移ったかのように、顔が熱い。
「はい、取れたよ」
声が震えないようにと祈りながら発した声は、不自然に揺れたけれど、冬海は気づかないようだった。自分と同じように緊張していたせいかもしれないと思い至って、加地はそっと息を吐く。
「あ、ありがとうございます」
俯き加減に頬を染めるのが、まるでことを終えたあとの仕草に見えて、ますます心臓を圧迫していく。
「じゃ、じゃあ、僕行くね」
堪えきれず、赤くなった頬を見咎められないよう加地は階段の上を見る。屋上で風に吹かれれば頬の熱は取れるだろうが、胸に宿った熱は冷めないだろうと、どこか確信めいた思いが胸の内にあった。
「はい。加地先輩、本当にありがとうございました」
深々とお辞儀をする冬海に手を振りながら、身体を翻す。
階段を上がりながら、加地は胸の高鳴りを持て余し、これからどうするか煩悶するはめになったのである。
何を血迷ったのか、加地×冬海です。
このネタを思いついたときは、本当に「これは加地だ!」と思ったんですが、読み返すとそうでもないっていう。実に不思議な話。
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2009.01.23‖コルダ:その他