土浦の嫉妬話
秋風を身体に感じながら、土浦は反芻していた。森の広場のベンチで本を広げているものの、内容は頭に入ってこない。頭の中を占拠しているのは、今日聞かされたことについてだった。冬海に限ってそれはない、とあの場では口にしたけれど、時間が経つにつれ、どうにも腹の虫の治まりが悪くなってきた。徐々に苛立ちが募ってきて、土浦はとうとう読んでいた本を乱暴に閉じる。
「………だって、冬海だぞ? そんなことあるはずないだろう」
息を吐き出しながら独り言ちて、土浦は眉間のしわを深めた。事の発端は、天羽のもたらした情報である。
『この前の日曜日、冬海ちゃんが、外車の助手席に座ってたんだよ。しかも、運転してるのは大人のいい男! あれ、絶対彼氏だよ!』
即座にそれはない、と断じた自分は間違っていない。そのとき一緒にいた柚木も同じ感想を持ったようだったし、何よりも話題の主はあの冬海である。同級生の男子生徒すら怖がるようなあの冬海が、どうして大人の男と二人きりで車になど乗ることになるのか。しかも助手席に。
しかし、考えれば考えるほど、腹の底からふつふつと沸き上がってくるものがある。間違いなくそれは怒りだった。そんな自分の感情の意味がわからず、ますます土浦は苛立つ。
冬海はただの後輩である。学内コンクールで同じ舞台に立っただけの、ただそれだけの相手だ。加えて、小さくて小動物のような少女は、土浦の苦手とする部類だった。触れれば壊れそうで、吹けば飛びそうな女の子らしい女の子。今まで土浦の周りにはいなかったタイプだ。だから、どう接すればいいのか、皆目検討もつかない。
そんな彼女が、自分以外の誰かとどんな関係であろうとも、関係のない話ではないのか。それなのに、ひどく腹が立つ。土浦はぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜて俯き、もう一度大きく息を吐いた。
土浦は、冬海笙子という少女に対して、あまりに何も知らなすぎた。彼女のことで知っているのは、学校の後輩で、音楽科の一年生であること。身体が細く小さいこと。クラリネットを吹くこと。オーケストラ部に所属していること。そして自分に脅えること。
そう思い出して、土浦は顔を歪めた。土浦を目の前にした冬海は、いつも脅えている。第一印象が悪かったのだと日野に言われたが、それにしても怖がりすぎではないかと思う。だからこそ、近寄ることもできないでいるのだ。
(本当は……)
その先を考えようとして、思考が止まった。土浦は首を傾げる。
本当は、どうしたいというのだろう。
しかし、いくら考えてもそこから先には行き着けず、土浦は諦めて視線を上げた。それを投じた先に件の少女を見つけて、土浦は眉間のしわを深めた。視線の先の彼女は、いつかのように男子生徒に絡まれている。その相手は、以前の生徒ではないようだが、困り顔の冬海はあのときと同じである。
苛立ちまじりに立ち上がる。大股に近寄って、土浦は低い声を発した。
「冬海。お前、何度同じことを言わせる気だ?」
びくり、と細い肩が揺れた。恐る恐る振り返る顔が、青ざめている。目の前で冬海に絡んでいたブルーのタイを締めた音楽科の生徒も、土浦を見上げて青くなった。答えが見つからない苛立ちに、土浦は声を荒げた。
「そっちのお前も、さっさと引っ込め」
これ以上、俺の機嫌を悪くさせるな、と脅すように言えば、謝罪しながらあっさりと立ち去った。二人で残されて、いつにない居心地の悪さに、土浦は思わず冬海に対しても八つ当たりをした。
この苛立ちの発端は冬海だ、と理由にならない理由をつけて。
「この間も言ったがな、嫌ならはっきり断れよ」
土浦の声に含まれる怒りに気づいたのか、冬海が息を飲む。逃げることすらできないふうで、ガクガクと身体を震わせて、彼女は俯き竦んでいる。
その姿に、土浦は答えの見つからない問いを思い出す。
(………本当は、こんなふうに怖がらせたいわけじゃない…)
苦々しい気分が広がって、舌打ちをしながら顔を背けた。
「す……、すみませ……」
細い声の謝罪も震え、そして涙に濡れている。土浦はますます顔を歪める。
違う。こんな声を聞きたいのではない。
そう思うものの、どうしたいのか、どうしたらいいのかなどわからない。土浦は視線を逸らしたまま、苦々しく呟いた。どうしてこの言葉を発するのに、苦々しい気分になるのかもわからない。
「………彼氏、いるんだろう。そいつにだって、失礼なんじゃないのか」
土浦の声に、驚いたように顔が上がった。冬海は必死に言い募る。
「い、いません。そんな……」
「は? だって、天羽が…」
一生懸命に首を振る冬海に、土浦は思わず視線を戻してしまった。
そこにある泣きそうな冬海の顔に、脈が乱れる。何だ、と眉をひそめる土浦に、冬海は思い至ったように瞬きをする。
「天羽先輩……? あ! あの、それは、英会話の先生で……」
「英会話?」
「は、はい…。あの、私、英語が得意ではなくて。特に発音が駄目なので、それで…」
苛立ちが、何故か薄らいでいく。急激な感情の変化に戸惑って、弁解のような冬海の言葉を土浦は遮った。
「そんなこと、聞いてない」
「………ッ! あ、え、えと……、その、すみません…!」
「謝るな!」
怒鳴りつけてしまってから、しまったと土浦は思う。苛々するのは、自分の気持ちの行き先がわからないからだ。これでは本当に、完全なる八つ当たりである。俯いて身体を震わせる冬海を見て、慰めてやりたい衝動が沸き上がる。そうさせたのは自分だというのに、何て身勝手なのだろうか。
(………本当は、)
こうして会話をして、彼女を知って。
そして。
そして……。
土浦は首を振る。思考を中断させて、脅える冬海に謝罪を告げた。
「………怒ってるんじゃない。……苛々してて、八つ当たりした。悪い」
「い、いえ…」
突然の土浦の謝罪に、驚きに満ちた瞳が見上げてくる。おどおどした態度に、また大声を上げてしまいそうになるのを、ぐっと堪える。
「でも嫌なら断れっていうのは、本音だからな。後々困るのはお前だし…」
そう言いながら、土浦は内心で首を傾げる。そうだ、困るのは冬海なのだ。だから、自分がこんなふうに手を出すことはないのではないだろうか。自分が苛々するからと、ただそれだけで彼女の人間関係をどうこうしようなどというのは、傲慢に過ぎる。それでも耐えきれない何かがあって、どうしても助けたくなる。何故かと自問しても、それは未だもやもやとした中にあって取り出せない。
そんな土浦の内心に気づかないように、冬海は項垂れながら眉を寄せた。
「そ…、そうですよね。……あの、お気遣い、ありがとうございます。これからは、土浦先輩のご迷惑にならないように…」
「別に迷惑なわけじゃない。お前が困るだろうって言ってるんだ。あんなふうに言い寄られて、自分で対処できなきゃ困るだろう。あいつら一方的なんだしさ。それに、俺がいつも側にいるわけじゃないし。そりゃ、近くにいれば助けてやれるけど…」
ぱちり、と大きな目が瞬いた。
驚きをやり過ごした冬海は、土浦を正面から見て、ふわりと優しく微笑んだ。
「……あ、ありがとうございます」
その不意打ちの笑顔に、どくりと心臓が大きく脈打った。
「土浦先輩に、こんなに親身になっていただけて、嬉しいです。あ…あの、こんなことで喜んでちゃいけないって、わかってるんですけど」
嬉しいです、と頬を染める冬海に、土浦はふと気づく。
ああ、そうだ。
(本当は……、本当は、こんなふうに笑っていてほしかったんだ)
そう思う自分の気持ちの根本がなんなのか、土浦が悟るまで、あと少し。
何か、いろんなイベントが混ざり合ってしまいました…。
しかし、土浦の嫉妬話は何度書いても楽しいです。冬海ちゃんに振り回される土浦万歳!
リクエストありがとうございました!
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2009.01.23‖コルダ:土浦×冬海