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2024.11.22‖
「君たち、海へ行こうじゃないか!」
 風紀委員長のその一言で、ある夏の日の予定は決まった。



 乃凪は、大きくため息をつく。
 ここは学校ではない。ましてや風紀会議室でもない。燦々と日差しの照りつける浜辺だというのに、なぜ沢登の笑い声を聞いているのか。
 だだっ広い砂浜に響き渡る沢登の笑い声をBGMに、乃凪は再びため息をついた。
 話は数日前に遡る。
 夏休み中にも関わらず、沢登に呼び出され学校へ。向かった先には当然のように内沼もいて、お互い悪態をつくより先にため息が落ちた。沢登の思いつきなど、どうせ碌なことではない。
「夏、夏といえば、開放だ!」
 突然そう叫んだ異様にテンションの高い沢登に聞かされたのが、先のセリフだった。
 当然、反論を並べ立てたが、沢登の耳に入っているはずがなかったのだ。馬の耳に念仏、猫に小判、ぬかに釘、暖簾に腕押し。さまざまなことわざが頭をよぎる。最終的にはいつものように押し切られて、今現在のこの状況にある。いっそ豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまいたい。
 しかも、だ。
「ねーえ、ノリちゃん」
 にやけながら内沼が乃凪へにじり寄ってくる。
「楽しみだよねー。亜貴ちゃんの水着姿」
「…………」
 そうなのだ。
 よりにもよって沢登は、真朱にまでその計画を持ちかけていたのだ。あのお気楽教師が、こんな楽しそうなイベントを傍観するはずがない。当然のように担当クラスのいつものメンバーに声をかけ、そして今日にいたる。
 亜貴の水着姿が拝めるのは、この状況においても嬉しい。嬉しいが、ただその喜びに浸る暇もないどころか、真朱に引率されてきた暗黒大魔王に精神的なダメージを与えられることが決定している事実に、乃凪の胃はギリギリと締め上げられている。
 男性陣はすでに着替えをすませていた。「ヨッシー、早く海に入りたーい!」と早くも突入しようとしている松本を取り押さえている烏羽と真朱。離れたところに、くすくすと暗黒の笑みを浮かべる白原がいる。そこから目線をそらすと、沢登が念入りに準備体操を行っているのが視界に入った。その体操と水着がどこの国のものなのか、正直突っ込みたいのだが、こらえる。体力の消耗は極力抑えたい。これから嫌でも消耗するのだ。この面子の前で倒れ、無様に屍をさらすのだけは、どうしても避けたかった。
「無視するわけ? ノリスケのくせに」
 内沼の声は不機嫌を装ってはいるが、ずいぶんと楽しげだ。その安い挑発に乗るわけにはいかない。
「亜貴ちゃん、かわいいだろうねぇ」
 笑いを含んだ内沼の声。じりじりと攻め立ててくる言葉の圧力に、乃凪はただ黙って耐える。
「正直、みんな惚れ直すと思うんだよねー。余裕ぶってていいわけ? まだ彼氏彼女なわけじゃないんでしょ?」
 そうだ。その通りだ。
 あの図書館での一件以来、二人の間には微妙な空気が漂っているだけで、はっきりとそういう関係になったわけではない。だからこそ胃が痛い。亜貴が乃凪のことを憎からず思っていることはわかる。けれど目の前のこの男を好きだと告げた彼女が、そう簡単に心変わりするとも思えなかったし、乃凪自身それを強要したいわけでもなかったから、そのままにしておいた。そうこうしているうちに学校は夏休みという長い休みに入り、そして今日。
 このありえないアクシデントにどう対処していいかなど、乃凪にはわからない。
「悩みすぎると髪が抜けるよ?」
 それでも乃凪が反応を示さないでいると、口を尖らせて内沼は言った。
「ムッツリ」
「……ッ! お前なぁ!」
「おっ待たせしましたぁ〜」
 語尾にハートマークでもついていそうな紺青の声が、乃凪の言葉を遮った。詰め寄って至近距離にある内沼の顔が、これまでにないほど嫌味ににやける。
「ほらほら、お待ちかねの亜貴ちゃんだよ?」
 ぐ、と声を呑む。
 振り向けば、亜貴がいるのだ。背後で褒めそやす声が聞こえている。亜貴ばかりに構う面々に、紺青が不平を言ったりもしている。わかっているのに、振り向けない。
 このヘタレと言って、内沼は乃凪のテリトリーから抜け出していった。「似合ってるよ〜」という能天気な声が聞こえてきて、「そうでしょ、そうでしょ?」と紺青が嬉しそうにはしゃいでいる。 振り向くだけでいいのだ。
 そして一言、内沼と同じように言えばいい。それがわかっているのに、どうしてもその一動作ができなかった。
 乃凪が煩悶しているうちに、背後で行われていた会話は一段落し、「じゃあ、遊ぶか」と真朱の声が聞こえた。次に松本が奇声を上げながら海へ向かう声。沢登は相変わらず笑っている。
(ああ、本当に)
 涙が出そうだ。好きな女の子の水着姿がすぐそばにあるのに、それを素直に見ることもできない。
 茶化されたり、冷やかされたり、からかわれたりするというのは言い訳で。
 ただ気恥ずかしいだけなのだと知れたら、それこそ嫌われてしまうんじゃないかと思う。ヘタレの烙印を押されようが何をしようが構わないが、それだけは耐え難い。
 さくり、と砂を踏む音がすぐ近くで聞こえた。
「乃凪先輩?」
 声が聞こえた。
 声に誘われ、反射的に横を見ると、亜貴がいた。
 当然、水着姿だ。
 見まいとしていたものが突然目の前に現れてうろたえる。
「い、依藤、さん」
 肌が白い。
 腿や二の腕や肩や、とにかくいつもは隠れている部分がむき出しになっている。
 錯覚ではなく、まぶしいと思った。
「どう、ですか?」
「え? あ、うん。似合ってる、よ」
 どこを見ていいのかわからない。どぎまぎしながら、どうにか口にすると、亜貴はほっとしたように笑った。
「よかった。悦ちゃんが、乃凪先輩はこういうのが好きだっていうから、選んだんです」
 先輩のためですよ、と首を傾げられて、乃凪はそれこそ卒倒しそうになった。
「あ、えと、うん、そうか。ええと、その………………………、嬉しい。ありがとう」
 乃凪が小さな小さな声で呟いた言葉に、亜貴は本当に嬉しそうに笑った。


* * * * *


「あーあー、甘い空気作り出しちゃって」
 内沼がそれを横目で見ながら毒づく。苦笑しながら真朱が口を挟んだ。
「まあ、いいんじゃないか。当人同士が幸せなら」
「乃凪先輩もいい度胸ですよね。こんな衆目監視の中、あんなふうに依藤さんを口説くんですから」
 笑いながら白原が暗黒のオーラを放っていたが、そちらを見ないようにして内沼はぽつりと呟く。
「あれで付き合ってないってのがわけわかんないんだよね」
「それは乃凪先輩がヘタレだからでしょう?」
 ズバリと切り捨てた容赦ない白原の言葉に、内沼も真朱も頷くことしかできないのだった。




2007.07.31up
碧さま リクエスト
海水浴ということだったので、こんなんなりました。
人を多くしたせいで、甘い話というよりもギャグ寄りになってしまいました。反省。
リクエストありがとうございました!
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2007.07.31‖TAKUYO
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