カエル畑。美咲×風羽。
「今日の夕飯はなんですか?」
「それはできてからのお・た・の・し・み☆」
夕飯の買い物に出てきていた風羽と美咲は、食材のたくさん詰まったビニール袋を両手にぶらさげながら帰路についていた。ふたりが生活している寮には、育ち盛りの男子生徒が4人もいるので買い物袋はいっぱいだ。
だが、それもなんのその。
風羽は美咲と一緒に買い物しているという事実に心を躍らせていた。その喜びは表情には出ていないが、美咲も風羽が喜んでいることを知っていた。なぜかといえば、美咲も同じ気持ちだったからだ。
ふたりの関係は教師と生徒だ。けれどそれだけではない。お互いに好意を持っていて、彼女が相応の年齢になるのを待つという約束がある。平たくいえば両想いだ。美咲の社会的立場と年齢のせいで普通の恋人どうしのおつきあいができるわけではないが、想いが通じ合っていることがわかった上での、この家族のような関係も悪くない。
少なくとも風羽はそう思っていた。ときどき、こうして美咲の手伝いにかこつけてふたりきりになれる時間もあって、美咲はいつも風羽のことを大事にしてくれる。それで充分だった。
風羽は美咲のことが好きだし、美咲もそうだ。一緒にいられればしあわせだし、今のところそれ以上を求める気はない。大事なのは自分たちの心のありかたであって、外野からどう見えるかではない。というか、外野からは教師と生徒に見えていなければならないのだ。だから、健全な「教師と生徒」の姿に見えながらも、本質は違う今を風羽はそれなりに楽しんでいた。
見上げれば美咲がいて、どうしたなどと言って笑ってくれる。その笑顔にほっこりとしあわせを感じる。
これだ。このあたたかさが風羽はうれしい。ほかの誰の笑顔を見ても、こんなふうに脈拍ははやくならないし、体温が上昇したりはしない。顔が赤くなってしまった気がしたが、夕焼けがきれいで空も真っ赤だったから気にしないことにした。
「なんでもありません」
美咲に笑顔で答えながら、ときめく胸に彼を好きだと再確認し、風羽は視線を前にもどす。いつまでも美咲を見上げたままで歩いているのは危ない。
顔を戻すと、夕焼けのなかに人影があった。
それはふたりの男女で、随分と仲睦まじい様子だった。恋人どうしか、それとも歳若い夫婦か。腕を絡め、手を繋ぎ、先ほどの風羽と美咲のように顔を見合わせて笑っている。だが、その距離は圧倒的にあちらのほうが近かった。もうくっついてしまうんじゃないかというくらいの距離だ。
すれちがう少しの時間、風羽はそれをじっと見ていた。だが風羽の熱視線にもふたりは動じたようすがない。あれはいわゆる「目の前の愛しい人の姿しか見えていない」状況ではないだろうか。
「こーら、菅野?」
美咲に呼ばれてはっとした。彼らがうしろに通り過ぎてもなお、視線が追っていたことに気づいて、不躾なことをしてしまったと風羽は自分を恥じる。
「すみません、先生。不調法なことをいたしました」
風羽が謝れば、美咲は苦笑しているようだたった。怒っているわけでも呆れているわけでもないようだ、と推察して、風羽は確認のために美咲に尋ねた。
「先生、あれはいわゆるバカっプルというやつですね?」
「……バカップル。どこで覚えたんだそんなことば。……まあいいや。そうだな、一般的にはそういうな」
美咲は「バカップル」という単語が風羽の口から出たことに衝撃を覚えたようだったが、律儀にそれを肯定する。それにふむ、とうなずいて風羽は自分の手を見下ろした。
両手にはいっぱいにふくらんだビニール袋。一方からはネギの青い部分が入りきらずにのぞいている。それも5本1束のお買い得商品だ。そのほかにも葉ものや乾物など、あまり重くはないがかさばるものが詰め込まれている。
そして視線をうつして美咲の手を見た。
美咲の手にもぱんぱんにふくらんだビニール袋がぶらさがっている。ひとつには調味料が切れたとかで醤油やみりんの瓶が、そしてもう片方には肉や肉や肉のパックが詰め込まれていることを風羽は知っていた。
すれちがったふたりを思い出す。
たとえば、あのふたりのように手に荷物を持っていなかったとしても、風羽も美咲も手をつないだり、ましてや密着して腕を組んだりということはありえない。教師と生徒としてのラインを逸脱しない程度で触れることはあっても、それ以上の男女の情を持って触れ合うことはないのだ。
それを思って、風羽は少しだけさみしくなった。
美咲に触れてもらうことも、美咲に触れることもあるけれど、それはあくまで「教師と生徒」であることが前提だ。あんなふうに誰の目もはばかることなくいちゃいちゃすることはできない。
さっきまではそれでもいいと思っていたのに、それ以上のしあわせを見せつけられて気持ちがしぼむ。なんとはなしに地面に伸びる影を見つめて歩きつづける風羽に、美咲は小さく息を吐いた。
「菅野」
「……はい」
いつもの覇気なく返事をした風羽に、美咲は少しだけ申しわけなさそうに尋ねる。
「バカップルがうらやましい?」
「!」
心のなかを見透かされて、風羽はばっと顔を上げた。見下ろしてくる美咲の目線にぶつかって、動揺しきっていることも悟られただろうと歯がみする。それでも風羽は気丈に振る舞った。
「そ…そのようなことはありません。私は先生と一緒にいられるだけで……」
「あ、菅野はそうなの? 俺はすごくうらやましかったけど」
風羽のことばを遮った美咲にぱちりとまばたきをひとつして、彼を見上げた。美咲は軽くウインクをして、風羽の視線を目線だけで前方へと誘う。
「まだ、あんなことはできないけどさ」
がさり、とビニール袋が音を立てる。
地面に伸びた影の美咲の腕が動いて、風羽の持つビニール袋と重なった。
「これくらいはいいと思わない?」
ふたりの身体は触れ合ってはいない。けれど影のふたりは手を繋いでいるように見えた。
美咲を見上げれば、風羽の答えなどわかっているというように笑みを浮かべている。それにとくりと心臓が音を立てた。
わかりづらいと言われる風羽の、ほんの少しの機微を見つけてくれて、できるかぎりで心を埋めようとしてくれている。美咲に大事にされている。優しさがうれしい。
「では、こういうのもいいのでしょうか?」
風羽は言って、美咲に身体を向けて少しだけ背伸びをする。風羽の影が美咲に触れて、一瞬で離れた。
「………す…がの、さん?」
美咲が声を出したのは、だいぶ経ってからだった。のどに絡んだような声で、無理矢理に絞り出したような声で、美咲はぎくしゃくと風羽を見下ろした。
「影でもいいから触れたいと思ったのです」
風羽はまっすぐに美咲を見上げた。
「駄目でしたか?」
あーとかうーとか、ことばにならない声でうめいて、美咲はとうとう大きく息をはいた。
「菅野」
「はい」
「我慢できなくなっちゃうから、俺のことあんまり信用しないで」
困りはてた懇願の響きに、風羽は目をまたたかせた。
2011.06.24up
影で手つなぎが書きたかったのですが、なんか締まりが悪くて風羽さんが大胆行動にでてしまいました。
美咲ちゃん優位で終わるはずが、やっぱり男前ヒロインが勝ってしまった…。
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2011.06.24‖TAKUYO