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2024.11.22‖
千雪過去話。小学校に入る前。



 夏本番になる前の、和菓子屋がちょっとだけ暇な時期。雪広の母親は、幼い雪広を連れて神戸の街へ行く。それは毎年のことで、雪広も楽しみにしていることのひとつだった。
 仙台から神戸への長旅ももちろん楽しみだが、何よりも神戸には大好きな幼なじみがいるのである。仙台ではまず聞けない関西弁を話し、自信満々で、何にでも興味を示す彼は、どれだけ遠く離れた場所に暮らしていても、年に数度しか会えなくても、雪広の大切な友だちだった。
 今年はその神戸への旅行が七夕に重なって、千秋は七夕飾りをつけた背の高い笹を用意してくれていた。東金家の大きな庭に飾られた大きな笹に短冊を飾ろうと、準備も万端である。
「なあなあ、ユキの願いごとはなんなん? 俺はなあ『せかいせいふく』や」
「せ…せかいせいふく?」
 色紙を切り出した短冊に、はみ出しそうな勢いで千秋はクレヨンを走らせる。
「そや。正義のヒーローは、世界を征服せなあかんねん。ニホンなんてちっさいこと言ってたらダメや」
 どうやらクレヨンの色が赤いのは、戦隊モノのリーダーに憧れているかららしかった。その上、悪の組織と正義のヒーローの言っていることがごっちゃになっている。だが、そんなこととは知らずに、千秋は意気揚々と短冊を書いていく。
 その正面で自分の短冊を書いていた雪広は、あまりに壮大な千秋の願いに、自分の願いごとがちっぽけに見えてきた。大事な大事な願いごとだったから、ていねいに歪まないように時間をかけて書いたけれど、千秋の願いに比べたらとるに足らないことのように感じる。
「ユキ?」
 自分の短冊をじっと見つめる雪広に、千秋は不思議そうに首を傾げた。
「な、何でもないよ…!」
 慌てて雪広は短冊を自分の背中に隠す。それが気に食わなかったのか、千秋はちょっとムっとした顔で雪広の隠した短冊を奪いとろうとした。
「何で隠すんや。俺はお前に教えたったのに、何でユキは教えてくれへんのや」
 リーチの差など、小さな子どもにはほとんどない。結果、少しだけスピードの勝った千秋が、雪広の短冊の端を掴んだ。
「や、やだ!」
「見せ!」
 口論をしながら短冊の引っ張り合いをしていると、果たして短冊はビリリと音を立てて真っ二つに裂けてしまったのである。
「あ……」
 ふたりの呆然とした声が落ちる。雪広がていねいに書いた短冊は、無惨にふたつにわかれてしまった。ひとつは雪広の手に、そしてもう片方は千秋の手に。
「ユ…ユキが手ぇ離さんのが悪いんやで。な、なんや、泣きそうな顔して。………あ、そや。短冊、もう1枚もらってきたる。また書けばええやん」
 悪いことをしてしまったと千秋は思っているが、素直に謝ることはできなかった。むしろ、もう1枚書けばいいのだという名案に、自画自賛したい気分でもあった。
 しかし、それは願いごとを記した短冊である。たかが紙切れ、されど紙切れだ。
 ぶるぶると身体を震わせて、雪広は自分の手に残った短冊をべしっと千秋に叩き付けた。
「千秋のバカ!」
 叫んで、雪広は部屋を飛び出した。千秋の家は広い。隠れる場所などたくさんあった。
 大事な願いごとだったのに、破れた短冊が、願いごとは叶わないと暗示しているようで、悲しみが胸を押し広げていく。いつの間にかぽろぽろ涙がこぼれていた。ひっくひっくとしゃくり上げながら、雪広はいつもはあまり足を踏み入れない部屋にいた。応接間のこの部屋は、ほかの部屋に比べて調度品が豪華だから、あまり立ち入らないようにと言われていた。かくれんぼの隠れ場所としてもあっと驚くようなものがあるわけでもなく、今までは母親の言いつけどおり、近寄らなかった部屋である。少しの後ろめたさを覚えながら、雪広はその部屋のすみで膝を抱えた。
 そこは、はじめて千秋と雪広が出会った場所だった。
 正確には、赤ん坊のころにすでにふたりは会っていたが、雪広の記憶にはない。雪広が覚えている「はじめて」がこの部屋なのである。
 金色の髪も、真っ赤な瞳も、雪広にはキラキラ輝いてみえた。そんな千秋が、ニカっと笑って手を差し伸べてくれて、雪広はすごく嬉しかったのだ。それから毎日、寝る間も惜しんでふたりで遊んだ。布団に入ってからも、内緒話をするようにひそひそと明日の計画を立てたりもした。神戸での短い滞在は、いつもいつも楽しかった。こんな喧嘩みたいなことをしたのもはじめてだ。
 このまま、仲直りできないんじゃないかという考えが思い浮かんで、雪広はぽろぽろ涙を流す。
 千秋を怒らせてしまった。自分だって短冊が破れてしまって悲しかったけれど、そもそもの最初は、自分が千秋に願いを伝えられなかったことにある。自信を持って千秋に短冊を見せてあげればよかったのだ。
 それなのに、それを嫌がって、八つ当たりみたいにしてしまった。千秋はきっと怒っているだろう。
 雪広は膝をぎゅっと抱え込んだ。千秋と短冊を書いていたときには真上にあった太陽も、だんだん落ちて部屋の中に影が多くなってくる。心細いのも手伝って、そのままぐすぐすと鼻を鳴らしていると、遠くで千秋の声がした。
「………キ、ここか!?」
 ばたばたと慌ただしい足音と、バタンバタンと乱暴に一部屋一部屋の扉が開け閉めされる音。
「ユキ!」
 バタン!
 扉は音のとおり乱暴に開かれて、雪広は、はっと顔を上げた。
「ユキ!」
 安心したような、泣きそうな顔で、千秋は雪広を見つけて走りよってきた。そのままガバっと抱きつかれて、ぎゅうっと強い力が千秋の腕にこもる。
「千秋……、あの…」
 ごめんね、と雪広は言うつもりだった。
 意地を張ったりせず、僕の願いごとはこれなんだと見せてあげればよかった。雪広はひとりぼっちになってそう思ったので、千秋にそう伝えたかったのだ。
 けれど、それよりも早く千秋が言った。
「ごめん、悪かった、堪忍な!」
 謝る千秋の手の中には、敗れて半分になった短冊があった。
 身体を離して、千秋はそれを雪広の手の中に戻す。セロハンテープで不器用に張りつけられた短冊は、歪んでいたけれどひとつになっていた。雪広は涙に濡れた目を、ぱちぱちと瞬かせる。
「俺も、ユキと一緒やで」
「え?」
「短冊、願いごと。俺も一緒や」
 ニカ、と千秋は笑った。はじめて会ったときと同じ笑顔だ。
 嬉しくなって、雪広も笑った。
「ほんとに?」
「ああ」
 力強くうなずいて、千秋は雪広の手を取った。ぐいぐいと引っ張って進んでいく。
「千秋?」
「俺の短冊書き直しや。ユキのと一緒やからな」
「え、千秋のはあれでいいじゃないか」
「あかん。俺も一緒がいい」
 結局、短冊にはそれぞれ性格の表れた文字で『ずっと一緒にいられますように』と同じ願いごとが書かれ、笹飾りの中に並んだのであった。



一年に一回、7月頃にしか会えないとか、千雪のふたりが彦星と織姫みたい〜とか妄想してたのに、話の流れ上入りませんでした。無念。
てゆーか、別に短冊はひとり1枚ってわけじゃないですよね。
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