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2024.11.22‖
 助けを求めないのも、そうできないのも知っているけど。
 でも頼むから、一人で泣かないでくれ。



「………?」
 予約してあるはずの練習室に、小さな人影があった。
 土浦は困惑しながら、ノックする。
 人影に見覚えがあった。時間であるとか、約束であるとか、そういう類いのものは従順に守るタイプの後輩だと思っていた。
 いつも何かに怯えている小動物のような彼女は、強面で大柄な自分を苦手にしていると知っていたけれど、楽器も吹かず、ただ踞るようにそこにいるのがひどく気になった。
「おい。予約時間、過ぎてるぜ」
「………ッ!」
 ドア枠に身体を預けるようにして声をかければ、その顔が反射的に上がった。
 その苦しそうな顔に、思わず眉が寄る。
「どうかしたのか?」
 尋ねたものの、理由に心当たりがないわけではなかった。
 今日の昼休みのことが理由だろう。見かけたのは偶然だったが、予想しなかったわけではない。それに今回がはじめてではないだろう。
 春のコンクールに続いて、今回のコンサート。
 どうしたって学内の有名人になる。それを妬むヤツもいる。
 またメンツが最悪だ。コンサートの主要人員は、学内にファンクラブのある柚木をはじめ、火原、月森、志水とただでさえ女生徒に人気のあるやつらばかりだ。本人たちがどう思おうが、それが事実なのだから仕方ない。
 女の嫉妬は醜いというが、それに耐えうるだけのものを冬海が持っているとも思えない。
「あ、あの…、いえ、別に……」
 消え入るような声。
 否定するのもわかっていたが、無性に苛立ってツカツカと大股に歩み寄る。
「別にって顔じゃねぇだろ。冬海」
 彼女のクラリネットは、清麗で美しいと思っている。もっと自信を持てばいいとも思っている。
 そんなだから、イジメられるんだ。
 最近の冬海の練習量は半端ではない。コンサートに出る面々はもちろん、金澤も知っているはずだ。特に日野が気にしていた。お昼に誘っても、帰りに遊ぼうと言っても、練習があるからと断られるというのだ。
 練習が悪いとは言わない。けれどこんな顔で、こんなにつらそうに練習をして、いいはずがない。いい結果なんて、出せるはずもない。
 座り込んだ冬海に姿勢を合わせて膝をつく。
「大、丈夫…です、から……」
 正面から顔を見て、ひどく悲しそうに歪んでいるのを見て、苛立ちが募る。
「お前さ。最近の自分のクラリネットの音、自覚して言ってんのか?」
 そんなに見くびられているわけではないと知りつつも、糾弾するような口調になる。
 髪に手をつっこんで、顔を背けた。
 腹が立つ。
「土浦先輩……?」
「お前の音、最近窮屈だよ。苦しそうでつらそうで、聞いてるこっちが滅入る」
「すみませ……」
「謝ってほしいわけじゃない」
 ため息をついて見下ろした彼女の身体。
 こうして膝をついた状態であっても、彼女の顔は頭一つ分下にある。
 自分とは違う華奢な肩。
 うつむいた顔を縁取るさらりと流れる細い髪。
 白いうなじ。
 スカートの裾から見える膝頭まで、小さい。
 クラリネットを持つ指が震えている。
 どこもかしこも細くて小さくて繊細だ。
 けれどそんな彼女に似合いの音。
 その清麗で美しい音を、聞いていたいと思うのだ。そう思うからこそ、最近の音には我慢がならない。
 一人で考えこんで、一人で苦しそうにしている冬海を助けてやれない自分に腹が立つのだ。
 それから、それを無自覚に選んでいる冬海にも。
「……………頼れよ」
「え?」
「つらいなら頼れよ。俺が……俺が嫌なら他の誰かでもいい。溜めこむな、我慢するな」
「でも、わたし……」
「いいから」
 できるだけ、優しく笑う。
 成功したのかどうかわからないが、驚いたように冬海が見上げてくる。
 その表情がかわいくて、思わず手が出た。
 頭に手を置いて、撫でる。ただそれだけだったが、ひどく緊張した。
 くしゃ、と冬海の顔が崩れる。
 張りつめていたものがフツリと切れて、ポロポロと涙があふれた。
「……わた…し、」
 座りこんだまま、肩を震わせる。
「クラリネットが、思うように、吹けなくて……」
 ぱたぱたとスカートの上にシミができる。
「みんなが、何て言ってるのか知ってるんです。実力不足だとか、分不相応だとか、………わかって、るんです。でも……」
 クラリネットを抱きしめる。これしかないというように、強く、強く。
「クラリネットが、音楽が、……好きなんです。みなさんと、コンサート出れる、のが、嬉しくて…」
「ああ」
 指で涙を拭ってやって、小さな身体をそっくりそのまま胸の中に抱き込めば、甘い香りがした。
「土浦センパ……ッ」
「俺もだ。アンサンブル楽しいよ。お前の音だって、悪くないと思ってる」
 素直に好きだと言えれば苦労しないのに、と苦笑しながら、緊張している背を撫でる。
「お前は頑張ってるし、もう十分だと思うぜ。気持ちが切羽詰まりすぎて、それが音に出てる」
 身体を離して、顔を覗きこむ。
 潤んだ瞳はとても澄んでいて、綺麗だった。恥じらう頬は薔薇色で、男どもが騒ぐのもわかる。
 守ってやりたくて、包んでやりたくて。
 こんな風に女らしい女なんて、一番苦手なはずなのに。
「気負うことないだろう。お前の音は、お前自身のものなんだから」
「土浦先輩……」
 目尻から名残のような涙が零れた。
 細い首を傾げて、笑う。
「ありがとう、……ございます」
 やっと笑った顔を見て、思わず口が滑った。
「お前、そうやって笑ってろよ。そのほうがかわいいぜ?」

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