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2024.11.23‖
 探して探して。
 ムリだって言われても、諦めきれない。



「何でないのー!」
 普通科校舎から始まって、エントランス、校門前、体育館に渡り廊下、音楽科校舎、屋上、講堂、グラウンド、森の広場まで。思いつく限り、だだっ広い校舎中を走り回って、それでも目的のものを見つけられず、香穂子は防音の練習室の中で叫んだ。
 コンクール中のファータなんかよりも、よっぽど真剣に探したというのに。
 ああ、もう本当にアレを落とすなんて。
 しかもよりにもよって学校で!
 気づいたのなんか放課後だし!
 あと、もう一箇所…いや二箇所。探していないところはあるけれど、もしそこだとしたら絶体絶命。もし仮に、万が一、あの人が拾っていたとしたら絶対からかわれるに決まっている。
「はーぁ…」
 香穂子は大きくため息をつく。
 探していない場所に、大好きな人がいる。
 いつもは大好きな場所。
 けれど今日ばかりは少し憂鬱になりながら、香穂子はそちらへ重い足を向けた。


 香穂子が音楽室に入ったとき、音楽科の生徒はまばらだった。
 少し胸を撫で下ろして、香穂子は授業で使った机のもとへ向かう。
 もともと選択授業は音楽ではなかった。
 けれどコンクールに優勝してからは、周りのすすめもあって—— 一番の理由は、授業担当が金澤だということだったけれど——授業を変更した。
 コンクールが終わってしまっては、金澤との接点はなくなったも同然で、自動的に、しかも定期的に金澤と会える『授業』という口実はとても魅力的だった。もちろん音楽を続けると言った香穂子のために金澤は時間を作ったりもしてくれるけど、それとこれとは別問題だ。できれば毎日、何度だって会いたい。
 使っていた机付近にたどりついてまず床を確認する。
 ない。
 机の中を確認する。
 ない。
 授業を反芻する。
 たしか音楽鑑賞だった。
 だから席の移動はしていない。動いた記憶もない。
 それでも一通り音楽室の中を見て回った。
 やはり、ない。
「もう、どこ行ったんだろう……」
 音楽準備室に足を向けながら香穂子はひたすら考える。
 からかわれても馬鹿にされても大事なものなのだ。
 朝、教室で見た覚えがあるから、学校に持ってきているのは確かだ。どこかにあるのも間違いない。
 今日一日動いた場所は全部探した。そうでない場所にも行った。事務室の忘れ物も見に行ったし、心当たりは全部探したのに見つからない。あとは、この扉の向こうだけ。
 まさか落とすなんて考えてもいなかった。知らず、胸の前で強く手を握りしめる。
 金澤は香穂子よりも随分年上で、はっきり言えば親の年齢の方が近いくらいだ。香穂子は生徒で子どもで、だから相手にされないのも仕方ないと思っていた。でもコンクールが終わった後、屋上で弾いたあの曲は、確かに金澤の耳に届いた。香穂子の音がすべて金澤に向いていると知った上で、息を切らせて屋上まで上がってきてくれた金澤は言葉にはするなと言った。卒業までという暗黙のルールがあって、香穂子はまだ想いを口にしたことはない。
 コンクールが終わってまだ数ヶ月。教師と生徒の関係はあと一年以上は続く。それなのに、なのか、それだから、なのか、気持ちは日々ふくれあがっていく。
 好きだと、たったそれだけの言葉を伝えていない。伝えられてもいない。
 だから、とても大事にしていたのに。
「…………ッ」
「何してんだ、お前さん」
 声とともに、ひょいと覗きこまれる。
「せんせ……ッ!」
 思ってもいなかった至近距離に金澤の顔がある。
 反射的に後ろにのけぞってしまい、バランスを崩した身体を金澤の腕に引かれ、そのままの勢いで胸に顔をぶつけた。瞬間、煙草のにおいがして、心臓がバクバク音を立てる。
「何か用か? めんどくせーな」
「あの……」
「ん?」
 扉を開かれ、促されるままに準備室の中へ入る。
「あ、そうだ。ほれ、忘れもん」
 何気なく机の上に手を伸ばした金澤が差し出してくるのは、間違いなく香穂子が失くしたものだった。
 あまりにあっさりと返されて拍子抜けする。絶対にからかわれるのだと思っていた。
 手を開けば、容易くそれは落ちてくる。
「そんなもん、捨てたってかまわないんだぜ?」
「そんなもんじゃありません! 捨てるなんてとんでもないです!」
「ま、どっちだっていいけどな」
 箱から出した煙草を金澤が銜える。
 それを横目に香穂子はそれを大事に開いた。
 一番上にクラスと名前。それは香穂子自身の筆蹟だ。
 『感想を述べよ』と、印刷されたプリント。
 授業で『夢のあとに』を聞いた後に書いた感想だ。コンクールでも弾いた曲で、いろいろ思うところがあってつらつらと書き連ねた感想文。
 片隅に金澤の確認印。その隣の文字。
『お前さんの解釈のほうが好きだけどな』
 その一言が大切で持ち歩いていた。何度も何度も見た文字を、香穂子はもう一度見る。
 少しくせのある文字。
 その文字に新しいインクが乗っている。
「………え? あれ?」
 反射的に金澤を見る。彼は首の後ろに手を当てて、苦笑した。
「あんなの後生大事にするもんでもないだろ」
「え、でも、だって……」
「今度は落とすなよ?」
 笑って手を伸ばす。香穂子の髪に少しだけ触れようとして、離れた。
「………はい」
 嬉しくて顔がにやけるのをプリントで覆い隠した。
 お互いまだ触れることはできないけれど。
 まだ教師と生徒の関係は続くけれど。
 頑張れる、と香穂子は思う。
 一部分を残して引かれた取り消し線。

『好きだ』

 そこだけが、消えずに残っていた。




金色のアミダへ寄稿したもの。
予想外に甘くなってびっくりした。
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