八木沢部長の話。
ネタばれというほど、イベントに準じてない。
でも、落ち込みは終わってて、一緒にウィドウ・ワルツを演奏する前くらい。
ただの補完。だけど、補完にもなってない。
ネタばれというほど、イベントに準じてない。
でも、落ち込みは終わってて、一緒にウィドウ・ワルツを演奏する前くらい。
ただの補完。だけど、補完にもなってない。
今がずっと続くことがないなんて、そんなことは百も承知で、それでも、と願ってしまうのは、今年の夏が楽しすぎるせいだろう。
こうして寮に戻って、皆でラウンジに集まり楽しく過ごしていると、どうしても感情染みてくる。ひとりで騒がしいラウンジを抜けて、八木沢は庭へ出た。ラウンジの賑やかさは、壁一枚を隔てているだけで聞こえなくなっていた。
感傷だ、と八木沢は夜空を見上げる。さわさわと庭の草木を揺らす夏の夜風には涼気が混じっていて、終わりが近いことを知らせていた。
「やっぱり、まだ終わらせたくないな……」
終わらせたくない、と声にすれば、それは実体となって、心に落ちた。
星奏のアンサンブルも、神南のそれも、関東芸術もサンセシルも、もちろん天音も、すべての演奏が素晴らしかった。いい音を聴いて、自分でも奏でたいと思った。あのステージに立ちたいと、そう強く願った。
その願いは叶わないから、余計に苦しく感じるのか。
空を仰いで立ち尽くすと、背後で草を踏む音が聞こえた。顔を向ければそこには見知った人物がいて、八木沢は静かに微笑む。
「小日向さん、どうかしましたか?」
「あ、あの…、八木沢さんが出ていくのが見えて……」
暗がりの中でもわかるほどに顔を羞恥にそめて、かなでは俯いた。しかし思い切って顔を上げ、真っ直ぐに八木沢を見る。予想外に強い視線に、八木沢は目を瞠った。
「どうかされたんですか?」
詳しくは問わず、かなでは尋ねた。自分を心配してきてくれているのだろうと知りながら、八木沢は問い返す。
「どうしてですか?」
まさか問い返されるとは思っていなかったのか、かなではぐっと息を飲んだ。狼狽えながら言葉を探すさまを見ながら、八木沢はどうして素直に答えなかったのだろうと自問する。
答えは簡単だ。彼女は星奏学院のオーケストラ部の部員で、至誠館を負かした相手で、それなのに心惹かれているから。
彼女の懸命さと素直な音に、徐々に心が傾いている。けれど、夏が終われば離ればなれになってしまう。まだ気持ちは曖昧で、彼女に対して抱いているのが、恋という名の感情だとはっきりと明言はできなかった。これ以上踏み込まれて、弱みをさらして、後戻りできなくなるのが怖かった。
身勝手な理由に眉を寄せると、かなでは言葉を選んで告げる。
「八木沢さんが、寂しそうだったから」
「……え?」
かなでの答えに、八木沢は目を瞬かせる。
「いつもなら、至誠館のみんなと笑って楽しそうにしてるのに、今日の八木沢さんは寂しそうでした。ずっと気になってて、だけど話しかけるきっかけがなくて…。そしたら、外に出ていったから」
大丈夫ですか? とかなでが首を傾げてくるのに、ふいに泣きたい気分になった。
追いかけてきてくれたのが、こんなに嬉しいなんて。
それがどうしてか、気づけないほど八木沢は自分の気持ちに鈍感ではなかった。
「ええ、大丈夫です。もうすぐ夏が終わってしまうなぁ、と考えていただけですよ」
心なんて、もう全部持っていかれている。夏が終わるのがこんなに寂しいのは、きっと彼女と離れるのが苦しいからだ。
彼女と会わないようにしていた期間は、苦しくてつらくて。それがどうしてか考えることを放棄していたけれど。
「あなたとこうしていられるのも、もう少しですね」
八木沢が放った言葉に、かなでははっきりと顔を強張らせる。
それが、自分と同じ気持ちからくるものであればいいのに、と八木沢はぼんやりと思った。
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2010.03.05‖コルダ3